こんにちは!岐阜市役所からメルカリ政策企画チームに出向中のmacchanこと松葉公之介です。
「#岐阜市職員のメルカリ1on1」、第21回はメルカリ共同創業者の1人である富島寛さん(以下、tommyさん)との1on1です。実はtommyさん、10月31日付でメルカリを退職し、次へ進む選択をしています。そんな彼の大きな決断に至るまでを思い切って聞いてみました!
「憧れる人や夢はでかいほうがいい」by tommy
tommyさん(写真左)
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「絶対的に言えることは、メルカリでの時間は幸せなものでした。会社設立からの6年半は、自分の人生で一番良かった期間だったことは間違いないです。本当にいい仲間たちと一緒にやれてよかった」とtommyさん。
tommyさんは2013年2月1日に進太郎さん(メルカリ代表取締役CEO)と共同でメルカリを設立。僕がメルカリに出向してまず驚いたのが「意思決定から実行までのスピード感」ですが、その根底には最初期からtommyさんのようなメンバーによるオーナーシップがあるからだと理解しています。「メルカリ創業期は、会社とプロダクト、そして僕の人生が一体化していました。妥協は一切なく、ものすごいスピード感でみんなと一緒に走り続けてきた記憶があります。さまざまな決断を行うなか、UXについては自分なりに仮説を持ち、それを再現してきました」。メルカリがリリース当時から独自の世界観を維持しているのは、tommyさんの存在も大きかったのですね。
tommyさんはメルカリ設立前までの約10年、会社経営やプログラマーとして仕事をしていました。「エンジニアリングはしていないので、自分のことを『エンジニア』とは呼べないと思っています。どちらかと言うと、プログラマーと呼ぶほうが合っているかも。2012年ごろはお金がなくて、業務委託で資金づくりしていました。『そろそろ起業しよう』と考えていた矢先に、進太郎さんが世界一周から帰ってくると知りました。忘年会で再会したときに会社を立ち上げると聞いて、一緒にやりたいと伝えたんです。それが、すべての始まりです」。人生のターニングポイントがどこにあるのか、誰にもわからないものですね。
さらに、こんなことも打ち明けてくれました。「これまで生きてきてわかったのは、僕は大将タイプではないということ。例えるなら、特攻隊長ですね。旗を立てる人がいて、そこへ誰よりも先にたどり着くような役割が得意です。(進太郎さんとは)いいコンビ、と言うとおこがましいですが、当時はそんな役割分担でした」。最も印象に残っていることについては「初めてのテレビCMですね。あれは、楽しかった!その直後にサーバーのトラブルなどもありましたが、テレビCMという大きな賭けを成功させ、メルカリというサービスが世の中に少しずつ浸透していくさまを見ることができました。あと、僕のおばあちゃんが生きているうちにテレビCMを見せることもできたこともよかったです」。
自らを「特攻隊長」に例え、独自の目線や考えを持つtommyさんですが、その姿勢はどこからきているのでしょうか?
「勝負をするときは、好きなもの×未来があるものをかけ合わせたほうがいいです。いくら好きでも、イノベーションがないとスケールしません。そして、目線は高いほうがいい。僕はインターネットが大好きで、つくることも好きだったこともあり、一時はスティーブ・ジョブズになれると勘違いしていました(笑)。インターネットにはチャンスがあり、どう考えても面白いことが多いのに、なぜみんな起業しないんだろうと思っていました。そう考えると『スティーブ・ジョブズになれる』と思い込むような中二病的な勘違いも重要だったと言えるかもしれません。この勘違いのおかげで『まだまだやらなきゃいけない』という気持ちになれるから。周囲から否定されることもあるかもしれませんが、夢や憧れる人はでかいほうがいい」。
そして、メルカリを退職するという選択をしたtommyさん。「当時から、メルカリで働くメンバーはすごく優秀です。みんなそれぞれがバリューを出すためにがんばっています。僕自身は、JP版メルカリやUS版メルカリを立ち上げたときが貢献度が一番高かった気がしています。このころのような価値を出していくには、自分自身をもっと大きく成長させる必要がある。そして、成長するには環境を変えることも大事かな、というのが今の正直な心境です」。
僕との1on1でも、正直に、誠実に、一つひとつ言葉を探しながらとても丁寧に話してくれて嬉しかったです。社内にtommyさんを慕う人が多い理由がよくわかりました。
tommyさん、ありがとうございました!