社会実装を目的とした研究開発組織として、2017年に設立された「mercari R4D(以下、R4D)」。研究開発(Research and Development)にとどまらず、未来の社会に実装される(Deployment)ことを想定したデザイン(Design)を行い、ときには既存概念や技術を破壊しながら(Disruption)、コミュニティの枠を超え、新たな価値を切り拓くために、さまざまなアプローチを実践してきました。
そしてR4D設立から5年の節目となる2022年末、「まだ見ぬ価値を切り拓く(Pioneering the path toward undiscovered value)」というミッションを新たに策定。これからは、世界中のコミュニティをつなぐハブとなって、自分たちの活動の成果を社会に還元することを追求しながら、野心的に挑戦していくフェーズとなりました。
メルカンでは、「社会実装を目的とした研究開発組織」であるR4Dの、過去、現在、そして未来について、3回にわたって思考していきたいと思います。最後を締めくくる第3回に登場するのは、2022年4月にR4Dの所長(Head of Research)に就任した川原圭博さんとアドバイザリーボードメンバーである森正弥さん。R4Dの目指す理想像について尋ねます。
この記事に登場する人
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川原圭博(Yoshihiro Kawahara)1977年生まれ。東京大学大学院工学系研究科教授。2005年 東京大学大学院情報理工学系研究科 電子情報学専攻博士課程修了。博士(情報理工学)。東京大学大学院情報理工学系研究科助手、助教、講師、准教授を経て、2019年工学系研究科教授に就任。2015-2022年 JST ERATO川原万有情報網プロジェクト研究総括。2019年インクルーシブ工学連携研究機構長。2019年よりメルカリR4D アドバイザリーボードメンバーを兼任。2022年メルカリR4D Head of Research。 -
森正弥(Masaya Mori)デロイト トーマツ グループ 執行役員・パートナー。アジア・パシフィック 先端技術領域リーダー。世界各国のAI・5G・量子コンピューター・ブロックチェーンのプロフェッショナルと連携し、産業・企業支援に従事する。
コミュニティの枠を超えた「共創」の場としてのR4D
──川原さんがR4DのHead of Research(所長)に就任されたのは、2022年4月のことでした。それから約1年が経った所感を聞かせてください。
川原:あっという間でしたね。この1年間は可能なかぎり多くの人々とコミュニケーションを取ることを心がけたのですが、それによって外側にいるとわからないことが見えてきたと言いますか、メルカリの目指す方向や解決すべき課題が浮き彫りになったと感じます。
川原圭博(Yoshihiro Kawahara)
──森さんには、2020年4月からアドバイザリーボードメンバーとして、R4Dの成長を見守っていただいています。この3年間でR4Dはどのように変化したと感じますか?
森:R4Dに関わるようになった2020年の時点で、社会実装を目的に幅広いテーマが動いていたのですが、この3年間で圧倒的に世界観が広がりましたよね。経験の蓄積によって洗練されてきたと感じます。
これは持論ですが、企業の研究開発組織には3段階のフェーズがあると考えています。1つ目は事業の効率性や生産性を高めていくフェーズ、2つ目は顧客に対して価値を提供していくフェーズ、そして3つ目がさまざまな個人・企業・団体と手を組んで新たなビジネスや社会的価値を生み出すフェーズ。R4Dがユニークなのは、いきなり3段階目に挑戦し、ある程度のエコシステムを築いている点です。
──3段階目から入るのは難しいものですか?
森:難易度が段違いだと思います。2段階目までは自社で完結できますが、3段階目となると社外のステークホルダーとも合意形成しながら物事を進めなければいけません。つまり、自分たちだけががんばれば大丈夫という話ではないわけです。
たとえば、R4Dと東京大学との共同研究で生まれた「poimo(ポイモ)」のような事例は、パートナー企業だけでなく、自治体からの理解も得られないと社会実装を実現できません。異なる意見を持つ人々をまとめるためには、「ここを目指すぞ」という明確なビジョンが必要になります。それがはっきりしているからこそ、R4Dはここまでの成長を遂げられたのではないでしょうか。
mercari R4Dと東京大学川原研究室との共同研究で生まれた、インフレータブル構造(空気圧により膨らむ風船構造)で作られた新しい電動モビリティ「poimo」
川原:私たちは設立当初から「Co-innovation(共創)」という考え方のもと活動しているのですが、幸いなことにR4Dが取り組もうとしている課題は社会に開かれているので、コミュニティの枠を超えて研究に取り組んだり、もしくは一緒に問題を定義したりできるのだと思います。これが他社との競争力を高めるため、自社のビジネスに役立てるためといった目標が立てられていたら、今のような共創の場はできていなかったはず。
社会実装とのバランスを考えながら学問の多様性を広げたい
──実際に「Co-innovation」が身を結んでいるプロジェクトはあるのでしょうか?
川原:メルカリでは、事業や企業の活動が環境や社会にどのような影響を与えているのかをまとめたサステナビリティレポートを2020年から毎年公表しており、2022年にはじめてポジティブインパクトの算出・開示をしました。これは、R4Dと東京大学の共同研究である「価値交換工学 社会連携研究部門」に所属されている文多美特任研究員の監修によるもので、メルカリの促進するビジネスの環境貢献量を数値化しています。
これまでもメルカリは、循環型社会の実現に向けてさまざまな取り組みを行ってきましたが、それが本当にサステナブルなのかは不明瞭な部分も多かったんです。今回きちんと数値化したことで、世の中に対してメルカリの信頼を高めることができたのではないかと思います。
──森さんはR4Dの「Co-innovation」についてどのように見ていますか?
森:着実に成果が出てきていると感じます。だからこそ、個人的には次のステップに進んでほしい。例えば、企業間におけるデータ連携はガバナンスの問題で年々難しくなっています。その解決となる仕組みを、R4Dがハブとなってリードしていくのもいいでしょう。また、社会実装を実現させるためには市民の積極的な参加が不可欠です。それをどう促していくのかを具体的に考えていくことも必要になるでしょうね。
川原:森さんがおっしゃるように社会実装の道筋を立てていくことは、R4Dがこれから取り組んでいかなければならない課題のひとつです。特に我々のような工学系の研究は、シーズ志向で研究に取り組むことも多く、誰のどんな課題を解決できるのか、また何がリスクになるのかを研究と同時に考えていかなければならないので。
森:例えば、千葉県の柏の葉スマートシティでAIカメラの導入に際し、市民参加型のワークショップを開催したことがあります。私もワークショップに関わったのですが、ワークショップ主催者側は当初、取り組みに対して批判的な意見が大半を占めるだろうと想定していました。ところが、蓋を開けてみると予想外の反応があったんです。
ワークショップに参加した方々は、メリットとデメリットの双方を考慮したうえで、事業者側が説明責任を果たすことを条件に、防犯や見守りを目的とするAIカメラの導入に前向きな意見をくれました。そうやって市民の賛同が得られると、社会実装が進みやすくなりますし、新たなアクションも起こしやすくなります。
森正弥(Masaya Mori)
川原:受け入れる側が納得できるように、適切な手順を踏んで説明していくのは重要ですよね。テクノロジーは、ある日突然ブレイクスルーを起こします。ただ、倫理や法律の範疇を超えて利用が促進されると、社会に悪影響を及ぼす可能性もある。それを防ぐための準備も同時に進めなければなりません。
R4Dは一昨年、大阪大学社会技術共創研究センター(ELSIセンター)と共同で研究開発倫理指針を策定しましたが、これも社会実装を正しいかたちで実現するために必要不可欠だと考えたからです。あらかじめ倫理指針を定めておくことで、社会実装のために何が必要で、何が足りていないのかが明確になりますし、研究を押し進めるための裏付けを強化することにもつながりますから。
「まだ見ぬ価値を切り拓く」というミッションがあることで起きる変化
──昨年、「まだ見ぬ価値を切り拓く」というR4Dのミッションを新たに策定しました。このミッションがどのような影響をもたらすのかをうかがいたいです。
川原:研究というものは、日々の小さな積み重ねを繰り返していく地道な行為であり、新たなミッションができたからといって、急に何か変化が起きるとは考えていません。ただ、「まだ見ぬ価値を切り拓く」という数値に基づかないビジョンがあることで、ユースケースを積極的に考えられるようになるはずです。なかには物事の捉え方を変換し、破壊的創造を実現する研究者も現れるのではないかと期待しています。
森:ユースケースに関する議論はすごく重要ですよね。先端技術を活用しようとするときに、それを使って何をするのかというビジョンがないと社会実装を進めることができませんし、協力してくれる企業も増えません。
一方で、民間の研究開発組織では失敗のリスクを恐れるあまり、ユースケースを具体化していくことで矮小化してしまう問題も散見されます。たとえば、社内で研究開発を自社のビジネスに役立てたいというニーズがあるとしますよね。その際、より明確で現実的なユースケースを掲示していくわけですが、そればかりだとある程度予測がついてしまい投資対象としての魅力がなくなってしまう。これを回避するためには、ユースケースを具体的に設定しつつも、少し離れた位置から俯瞰して作り出したユースケース群をクラスタリング(データ間の類似度にもとづいて、データをグループ分けする手法)していき、ユースケースのグループによってそのインパクトを考えていく。そのようなズームインとズームアウトの視点をとったりもします。それができると具体的な費用対効果を踏まえながら、経営層が価値のある意思決定をできるようになりますので。
しかし、R4Dはその先にチャレンジするのがすごいと率直に感じています。「まだ見ぬ価値を切り拓く」ユースケースとは何か。この挑戦がもたらすインパクトは従来にはないものになると思います。
──最後に、R4Dが日本の研究開発環境に寄与できることがあるとすれば、どんなことが考えられますか?
川原:現在の日本では、大学ですらボトムアップの発想だけでは研究費が獲得しにくい状況です。だからこそ、民間企業が未来への投資を積極的に行っていかないといけないわけですが、先ほど森さんがおっしゃっていたように現実的なユースケースにばかり投資が行われる事例もここ20年くらいで増えています。道筋が立つことがステークホルダーの安心材料になることは理解しつつ、ある程度のリスクを許容したうえで「まだ見ぬ価値こそ、価値なんだ」という考え方も浸透させていかないと、日本の研究開発環境は変化していきません。その開拓をR4Dがリードしていければと考えています。
森:「まだ見ぬ価値」に投資できる企業は日本でも本当にわずかなので、R4Dにはどんどん新たな領域に挑戦してほしいですね。その姿勢を見せることが、後々に日本の研究開発環境にポジティブな影響を及ぼすことになるはずなので。