外部環境の変化が激しい現代において、企業の持続的な成長のために「人への投資」の重要性が高まっています。2023年には日本の上場企業に対して人的資本に関する情報開示が義務付けられ、「人的資本経営」への転換が求められるようになりました。
特にテック業界においては人材の流動性が高く、どのように優秀な人材を獲得し、活躍できる環境を用意するかは経営を左右する重要なテーマです。そうした潮流について、メルカリ CHROの木下達夫(@tatsuo)は、「創業時からずっと、メルカリの最大の投資先は人です」と語ります。
「人的資本経営」というキーワードが注目される以前から、メルカリはどのように人への投資を行い、メンバーの可能性を解放するための取り組みをしてきたのか、木下から聞きました。
この記事に登場する人
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木下達夫(Tatsuo Kinoshita)P&Gジャパンに入社し採用・HRBP(HRビジネスパートナー)を経験。2001年日本GEに入社、北米・タイ勤務後、プラスチックス事業部でブラックベルト、HRBP、07年に金融部門の人事部長、アジア組織人材開発責任者。12年GEジャパン人事部長。15年にマレーシアに赴任し、アジア太平洋地域の組織人材開発、事業部人事責任者を務めた。18年12月にメルカリに入社、執行役員CHROに就任。
バリューの徹底追求こそ、メルカリの「人的資本経営」
——創業当初から、メルカリが人への投資を行ってきたのはなぜでしょう。
設備を持たないメルカリの事業領域において、インパクトの源泉は常に「人」だからです。優秀かつカルチャーマッチする人材を、どのように採用し、どのように才能を最大限発揮してもらうかは、メルカリにとって大きな経営イシューでした。ミッションを実現するため、もっとも注力してきたのは「Go Bold」「All for One」「Be a Pro」の3つのバリューの徹底です。会社としてもそうですし、メンバー個々人に対しても求めてきました。
人事としては「バリューの発揮度を最大化する」ための採用、育成、目標設定、評価などをデザインしてきたんです。そうした、一人ひとりの才能を発揮するための取り組みは、昨今、注目される「人的資本経営」そのものだと考えています。
木下達夫(@tatsuo)
——「人的資本経営」そのもの”ということについて、もう少し詳しく伺えますか?
組織が小さかったころは、新しい取り組みと、それに伴う課題がどんどん生まれてきたので、自然とバリューを維持しやすい環境だったかと思います。しかし、この5年くらいは、会社が大きくなるにつれて、組織が複雑化し、人材の多様性は増していき、暗黙知としてバリューを維持することの難しさが見えてきました。
そこで、「ハイコンテクストからローコンテクストへ」や「村から街への進化」を標榜し、メンバーとカルチャーを共有するための社内向けドキュメント「Culture Doc(メルカリのカルチャーをメンバーと共有するための社内向けドキュメント)」を作るなど、バリューを最大限に発揮するための仕組みや制度を拡充させてきました。
一方、仕組み化を進めていくことで、逆に「Go Bold」さを発現しづらくなる懸念はあります。ただ、そこに対してもやはり「人」の力が切り開いていくと思っています。
たとえば、2021年にリリースした『メルカリShops』という新規事業に挑戦したい人を社内で募ったときは、100人以上のメンバーが手をあげてくれました。メルカリで経験を積み、バリューを体現している人が、ロールモデルとして新規事業や新たに立ち上がる組織に異動することで、組織全体にバリューを伝播させることができているのです。
先日インド拠点に出向いた際にも、同じような光景を見ました。インド拠点には、日本のメルカリで数年働き、シニアエンジニアへと成長したインド国籍のメンバーが転籍しています。彼らがバリューの伝道師となってくれたおかげで、遠く離れたインドでもメルカリらしいカルチャーの組織が生まれています。
こうして人から人へとバリューが伝播することが重要であり、そこで「Go Bold」に思いきり働ける環境をつくることが、私たちメルカリにとっての「人的資本経営」だと考えています。
世界中の多様なタレントの可能性を解き放つために
——「世界中の多様なタレントの可能性を解き放つ組織を体現すること」をマテリアリティに掲げていますが、メルカリがグローバル人材の採用に力を入れ始めたのはいつ頃からでしょうか。
2017年から本格的にグローバル採用に力を入れてきました。マテリアリティで「世界中の多様なタレント」としたのは、メンバーの多様性は創造力の源泉だと考えているからです。ミッションを本気で実現するために、世界中のタレントにアクセスし、かつその人たちが活躍できる会社になる必要があったんです。
ただ、グローバル採用に舵切りをしても、求める人材像の軸はまったくぶれません。メルカリのミッションに共感し、バリューを体現できる人を妥協なく採用していったんです。結果、現在のメルカリは、約50カ国のプロフェッショナル人材が集まり、外国籍社員比率は全体で25.7%、管理職が25.7%、そしてエンジニア組織の53.8%を占めるようになりました。特にエンジニア組織を中心に、外国籍社員比率が増加しています。
——採用しただけではなく、きちんと定着しているということですね。
まさに、グローバル採用で難しいのは、採用よりも「定着」です。言語や文化、商習慣の違いがマイナスに作用して辞めてしまう、という事例はよく見られます。メルカリでは、グローバル人材を採用するだけではなく、世界中の人たちが働きやすく、才能を発揮しやすい環境に整えようとしてきました。その甲斐あって、現在の日本国籍と外国籍の人で、定着率は同じ水準になっています。
——実際、どのように採用後の定着を促進してきたんですか?
まずは言語の部分です。通訳や翻訳をメイン業務とする「Global Operations Team(GOT)」や、言語学習プログラム(LET)のサポートによって、社内の英語化を進めました。
ただ、英語を公用語にしようとは思っていません。プログラミング言語と同じように、英語はツールの一つでしかない。日本語話者と英語話者がいることを念頭に、「slackのallチャンネルでは、日本語・英語の両方を記載する」などといったコミュニケーションを、経営陣から徹底してきたんです。
また、人事制度にもグローバルスタンダードを積極的に取り入れてきました。特に報酬制度では、グレード制度や、サラリーレンジの仕組みを導入しています。日本の給与相場もよくわからないなか、海外からきたメンバーは「本当にフェアに扱われているのか?」と疑問を持つことがあります。それに対して「日本ではこれが当たり前」と押し付けるのではなく、客観的な数値を基準に評価する枠組みをつくり、「あなたの働きはこう評価されている」と明確に示せるようにしました。
——新しいメンバーを採用するために、受け入れる側の変化も促しているんですね。
おっしゃる通りです。開発の進め方においても同じように、グローバルテックカンパニーに準拠させるように変化してきました。今では当たり前になっている、アジャイル開発やエンジニアリングマネージャーの仕組みも、まだ日本で一般的ではなかった時代に取り入れています。
そうしたことの積み重ねにより、2023年にメルカリは「エンジニアが選ぶ開発者体験が良いイメージのある企業ランキング」で、2年連続1位になることができました。もともとビッグテックで働いていたメンバーも、「前と同じどころか、バリューやEX(従業員体験)を重視してくれることで、より快適に働けている」と言ってくれます。
プロダクトのUI/UXを大事にするのと同じように、組織のEXは強くこだわってきました。大きな取り組みとしては、2021年9月より開始した、多様な働き方を尊重する新しいワークスタイル「YOUR CHOICE」があります。「個人と組織のパフォーマンス、およびバリュー発揮を最大化する」という目的のもとに、リモート・出社の有無や、住む場所などを社員が自由に選択できるようになりました。
この背景には、コロナ禍を経験したことで判明した、ダイバーシティに関する“気づき”があります。それは、ジェンダーや国籍という要素以上に、「ライフスタイル」がダイバーシティの要因になっているということです。家庭の状況や住んでいる場所によって、個々人のライフスタイルはまったく違い、それが一人ひとりのバリュー発揮に無視できない影響を与えていることがわかりました。そうであるならば、全員出社で統一するような考え方ではなく、個々人がもっともパフォーマンスを出しやすいワークフローを選べたほうがいいと考えたんです。
もちろん、こうした制度が一定の成果を出しているのは、確実にバリューが根付いているおかげだと思います。一人ひとりが、なんのためにこの制度を使うのかを意識できていることが大事なんです。
これらの取り組みや制度によって、社員のエンゲージメントが高い状態を維持できています。それが分かりやすく出ているのがリファラルでの採用割合が全体の25%にも及ぶことです。日本国籍も外国籍のメンバーも、メルカリで働くことを周りの人に推薦してくれているんです。
Go Boldな挑戦を促進しながら、安心安全に働ける環境もつくる
——環境や仕組みの整備によって「働きやすさ」の土台がつくられた。では、そのうえでグループミッションにある「あらゆる人の可能性を広げる」ことをどのように実現しようとしてきたのですか?
一番大事なのはやはり、個々人の「Go Boldな挑戦」を促していくことです。そのために、新規事業や新しいプロジェクトに対して、国籍やジェンダーに関わらず、大胆な抜擢・登用をしてきました。
報酬面においても、大胆な挑戦によって成果を出した人に、きちんと報いるような仕組みを作ってきたんです。個人が成長して、影響力やインパクトが大きくなれば、最初に設定された金額や社内の基準ではなく、社外や市場の基準をもとに報酬が見直される。いわゆる「市場競争力のある報酬」を担保してきました。
——色々な事情や制約があって、一時的にそう働けない人のことはどう考えていますか?
また、色々な事情や制約があって、大胆なチャレンジがしづらい状況にある人もいます。例えば、親の介護や子育てなどで疲弊していたり、心に不安を抱えていたりと。2016年に導入した「merci box」は、そうしたダウンサイドをケアする人事制度の一つです。産休・育休、介護休業、傷病休職から復職する際の復職一時金の支給をはじめ、妊活の支援、病児保育費の支援、社員の死亡保険加入、卵子凍結支援制度、0歳児保育支援制度など、多種多様なサポート制度を整えています。思いっきりGo Boldに働いてもらうためにも、安心安全な環境も大事にしているんです。
社会全体で男女賃金格差の解消に取り組んでいきたい
——9月に発表された「Impact Report」で、目下の取り組みとして「男女賃金格差の解消」について紹介されています。この問題に取り組んだ経緯を教えてください。
まず、メルカリは、社内における貢献度とマーケットの状況を考慮して報酬を決めています。職種によってはマーケットの状況が刻一刻と変わり、適正な報酬が変動するものもあるので、フェアな報酬を払うための是正措置はこれまでも実施してきました。
今回の男女賃金格差も、同じ観点からの取り組みになります。きっかけは、昨年実施した、ジェンダー平等に関するグローバル認証「EDGE Assess」のサーベイでした。2018年よりメルカリが取り組んできたダイバーシティ&インクルージョンの活動を国際基準と照らし合わせ、向かうべき方向性を明らかにするために実施し、日本企業として初めて「ジェンダー平等へのコミットメント」の認証を取得したんです。そのサーベイにおいて、男性と女性を比べると、女性のほうが「フェアな賃金をもらっていない」と考えている傾向がありました。
「FY2023.6 Impact Report」より
——賃金格差の解消とは、そのギャップを無くすということでしょうか?
いえ、そうではありません。給料を全員一律で設定することが、私たちの目指す「フェア」な状態ではありません。メルカリの考えるフェアな報酬は、職種やグレードの市場価値まで考慮したものです。
そこで、改めて重回帰分析を行い、「説明できない格差」を算定したところ、男女差は「7%」だとわかりました。この7%がどこから生まれたのかを、さらに分析してみた結果、入社前のギャップが原因だと判明したんです。
入社前のギャップとは、つまり、社会全体として存在するギャップを意味します。メルカリの通常の入社プロセスでは、このギャップを是正することができていませんでした。この結果をもとに、今回メルカリでは、今社内にいる人たちへの是正措置を実行しました。それとともに、今後入社する方に向けて、前職の給与が影響されないオファーのプロセスを再構築したんです。
——社会全体として存在するギャップとなると、メルカリ1社では解決できないことですよね。これから、どのようなアプローチが必要だと思いますか?
まずは、正確に実態を把握することが重要だと思います。収入の平均値をとって「男女の賃金格差が◯%」と計算することは簡単ですが、それだけでは不十分です。本来のギャップを知るためには、職種やグレードなどによるギャップを、差し引きしなければいけませんが、それを是正するのはなかなか難易度が高いと思います。
——それはどういうことでしょうか?
ジェネラリスト志向で組織デザインがされている場合、市場価値に基づく「職種別」の細かな給与レンジが設定されていません。つまり、市場価値に合わせた細かい是正措置をとることが難しいんです。この度の「男女賃金格差の情報開示の義務化」が、日本企業に問いかけていることは、「まずは、市場価値に照らし合わせたフェアな報酬をしよう」ということだと思います。そのうえで、それでも是正されきらない男女賃金格差について、社会全体で語りながら、解決策を模索していければと思います。
ミッションバリューに共感し実現しようとしてくれる人に選ばれ続ける会社でありたい
——最後に、よりメンバーの可能性を解放する会社になるため、人への投資をどのように行っていくか教えてください。
メンバーが発揮するバリューの総量が、長期的に最大化されるような投資判断を行っていきます。そのためにカルチャーやバリューを見つめ直し、メンバーに期待するアクションを明確にすることで、次の10年を作っていこうとしています。
具体的にはカルチャーを明文化した「Culture Doc」を更新しました。これから特に意識すべき部分を加筆したんです。強調したことの一つが「失敗していい」ということ。「Go Bold」な挑戦には失敗がつきものです。新しいことに何度も挑戦し、何度も失敗してそこから新しい学びをつかみとり、新しい価値を生み出していく姿勢を強く押し出しました。
もう一つは「All for One」で付け加えた「Disagree and commit」。意思決定に対して反対だとしても、適切なプロセスで決めたものにはコミットしようという考え方です。
「FY2023.6 Impact Report」より
多様な人たちと「All for One」に挑戦することで、イノベーションは促進されます。しかし、全員が合意するまで議論を続けていたら「Go Bold」なアクションは取りづらくなる。必要な議論はきちんと行った上で、最後には会議体や、権限を持つ人による意思決定で物事を決めていく意思を表現しました。
これからの時代は、会社も人もフェアに選び合う、適度な緊張関係を持つことが大切だと思います。メルカリも、万人に愛される会社ではなく、ミッション・バリューに共感し実現しようとしてくれる人に選ばれ続ける会社でありたいです。